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大阪高等裁判所 平成6年(ネ)915号 判決 1995年12月21日

大阪府東大阪市布市町一丁目四番一〇号

控訴人

杉本伸線株式会社

右代表者代表取締役

杉本健三

右訴訟代理人弁護士

村林隆一

松本司

今中利昭

吉村洋

浦田和栄

辻川正人

岩坪哲

田辺保雄

三重県上野市緑ケ丘本町一七六二番地

被控訴人

タチカワ株式会社

右代表者代表取締役

立川俊一

右訴訟代理人弁護士

宇津呂雄章

今西康訓

宇津呂修

右輔佐人弁理士

田中治幸

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

以下においては、控訴人を「原告」と、被控訴人を「被告」とそれぞれ表記する。

第一  申立て

原告は、原判決取消しの判決とともに次の請求の趣旨のとおりの判決並びに仮執行宣言を求め、被告は控訴棄却の判決を求めた。

(請求の趣旨)

1  被告は、原判決別紙商標目録記載の標章を封緘機に付し、又はこれを付した封緘機を販売し若しくは広告してはならない。

2  被告は、前項記載の封緘機を廃棄せよ。

3  被告は原告に対し、一五〇万円及びこれに対する平成三年九月五日から支払済みまで年五分の割合による金額を支払え。

第二  事案の概要

一  事実関係(甲一五、二六、乙二〇、検甲五の1、六の1、2、原告代表者、被告代表者)

1  昭和三八年ころまで

(一) 株式会社杉本伸線圧延工業所(旧会社)は、昭和二四年二月五日、各種鉄材伸線・圧延に関する製造販売等を目的として設立された株式会社であるが(甲一の1~3)、昭和三六年ころ、米国法人インターナショナル・ステープル・アンド・マシン社(米国インターナショナルステープルマシン社)から、同社の極東総代理店・三井物産株式会社と実質的には共同して(甲三の2)、米国インターナショナルステープルマシン社が米国内で製造し「BOXER」の商標を付した手動式段ボール箱用封緘機(ボクサー封緘機)を輸入し、三井物産(株)の国内代理店を通じて、日本国内全域でその販売を開始した。その際、対外的には、三井物産(株)が単独で輸入、販売を行っている形が取られた。

旧会社は、昭和三五年ころから、右封緘機用の「Gold Crown」印の封緘針(ステープル。甲二八)及びその材料の平線を製造し、三井物産(株)を通じて米国インターナショナルステープルマシン社に輸出していたが、ボクサー封緘機の輸入発売と同時に、右封緘機用封緘針に、「杉本」「伸線圧延」「工業所」の各ローマ字表記の頭文字から成る「SSK」を入れた「SSK Gold Staple」ないし「SSKゴールドステープル」の標章を付し、これをボクサー封緘機と組み合わせて、三井物産(株)の国内代理店を通じて日本国内全域でその販売を開始した。

(二) ボクサー封緘機の国内販売に際して使用された宣伝広告パンフレット(甲八の1)は、その第一面上部に「International BOXER」と大きく表示し、その下部に国語で「オリジナリティーと20年の歴史を誇る米国インターナショナル社の”ボクサー”」(「ボクサー」の部分は大きく表示)と表記し、中央部には封緘機の写真を大きく、右下隅に「Gold Staple」の商標と封緘針のイラストを掲載し、下段一面に「極東総代理店 三井物産株式会社」と大きく表示していた。また、その第二面に「現在、世界各国に普及され、段ボールケースの封函になくてはならないものとなって来た”ボクサー”は、段ボールケースに商品を入れた後、内部の商品を一切傷つけずに、外から完全に密閉します。この”ボクサー”は、米国インターナショナルステープルマシン社に於て創案・製作され、30年の歴史と信用を誇る唯一の製品です。」と記載し、下方にボクサー商標の封緘機の種類として、ハンドボクサー、エアボクサー、ボトムボクサー、デュアルボクサー、SS4型デュアルボクサー、オートデュアルボクサーがある旨記載したほか、その第三面に「”ボクサー”の利点」の説明や「SSKゴールドステープル」の宣伝文言などを記載し、最終面(第四面)最終欄の最上段に「極東総代理店三井物産株式会社大阪支店鉄鋼線材部線材製品課」と、次段に「インターナショナル社技術提携 SSKゴールドステープル製造元 株式会社杉本伸線圧延工業所」と表示していた。すなわち、ボクサー封緘機の販売に関しては、それが米国インターナショナルステープルマシン社が製造する「ボクサー」封緘機の販売であることを前面に出し、その販売元を同社の極東総代理店である三井物産(株)と明示していたが、旧会社に関しては「SSKゴールドステープル」封緘針の製造元であることのみを表示し、旧会社がボクサー封緘機の販売に関与していることをうかがわせる記載は全くしていなかった。

2  旧会社の解散まで

(一) 三井物産(株)は、その後国内で同種の封緘機を製造する会社が出現し(昭和三七年一二月一〇日発行の昭和三八年版包装産業名鑑(乙五、一〇の1)によると、当時少なくともロック印封緘機サンライト印封緘機が市場に出ていたことが認められる)、封緘機市場での価格競争に勝ち抜くことが困難となったため、昭和三八年ころ、米国インターナショナルステープルマシン社からの輸入を中止して、ボクサー封緘機と同一規格の封緘機(本件封緘機)の国産化に踏み切ることとし、米国インターナショナルステープルマシン社の許諾を得て、本件封緘機を旧会社が製造することになった。旧会社は、本件封緘機の製造に当たり、全部品を下請加工業者一〇社に製造させ、最終の組立だけを自社で行い、完成品に「”SSK”BOXER」ないし「”SSK”ボクサー」の商標を付して、米国インターナショナルステープルマシン社に代わってこれを三井物産(株)に販売し(旧会社は自社で製造した本件封緘機の全部を直接三井物産(株)の国内代理店に納入していたものであり、自社で独自に販売したものはない)、これらを三井物産(株)が従前からの「SSK Gold Staple」「SSKゴールドステープル」封緘針と組み合わせて、その国内代理店を通じて日本国内で販売するようになった。

そして、旧会社が製造した本件封緘機には、原判決別紙商標目録記載(1)の標章(本件標章(1))を付したものも存していた。

(二) 右本件封緘機の販売に際して使用された宣伝広告パンフレット(甲八の2)の内容は、前記米国インターナショナルステープルマシン社製のボクサー封緘機のパンフレットの内容とほとんど同一であるが、右封緘機が米国インターナショナルステープルマシン社製であることを表示する部分は削除されている。すなわち、第一面の「International BOXER」、「オリジナリティーと20年の歴史を誇る米国インターナショナル社の”ボクサー”」の部分は、それぞれ「”SSK”BOXER」、「梱包の合理化を実現した”SSK”ボクサー」と改められ、下段の「極東総代理店 三井物産株式会社」の部分は、「極東総代理店」を削除して「三井物産株式会社」のみとし、第二面の「この”ボクサー”は米国インターナショナルステープルマシン社に於て創案・製作され、30年の歴史と信用を誇る唯一の製品です。」との部分を削除し、最終面(第四面)の最終欄の三井物産(株)の頭書に「極東総代理店」とあった部分を「総発売元」と改め、旧会社の頭書に「米国インターナショナル社技術提携」とあった部分を削除し、「SSKゴールドステープル製造元」のみを残したが、旧会社が本件封緘機の製造元である旨の記載はしなかった。右記載をしなかった理由は、輸入品である米国インターナショナルステープルマシン社製のボクサー封緘機が需要者に好評であったことから、国産の本件封緘機が封緘機の製造には実績のない旧会社の製造に係るものであることを表示すると、それまで築き上げた評判、信用が毀損され、従前どおりの売上を維持できなくなるおそれがあると三井物産(株)側が判断したためと考えられる。

結局、本件封緘機の販売は、製造業者を表示せず、従前販売してきたボクサー封緘機の信用、実績を利用して、三井物産(株)の信用において行われていたものと認められる。

3  旧会社解散後

(一) 旧会社は、昭和四六年ころ始まった労働争議の激化のため、経営の維持続行が不可能となり、昭和五〇年九月一六日、株主総会の決議によって解散し、すべての事業活動を停止した。しかしながら、三井物産(株)に納入していた本件封緘機と封緘針に関する旧会社の事業は、三井物産(株)の指示の下に次のとおり引き継がれ、三井物産(株)の本件封緘機、封緘針のセット販売に関する事業活動には支障を来さないよう配慮された。

<1> 本件封緘機の製造販売事業は、旧会社の下請会社の一つであった株式会社ひかり金属製作所が引き継ぎ、(株)ひかり金属製作所は、旧会社の他の下請会社から部品を仕入れて本件封緘機を組み立て、旧会社同様三井物産(株)に販売し、その製造分全部に原判決別紙商標目録記載(1)、(2)の標章(本件標章)を付した上同社の国内代理店を通じて日本国内全域で販売した。なお、(株)ひかり金属製作所の上記事業が円滑に遂行されるようにするため、旧会社において本件封緘機の製造に従事し、三井物産(株)及び国内代理店への営業を担当していた南毅ほか一名の従業員が、旧会社代表者杉本健三の指示で(株)ひかり金属製作所に移籍し、その製造事業に従事した。

<2> 封緘針については、その製造に大規模な設備が必要であり、(株)ひかり金属製作所では製造が不可能であったことから、当時旧会社から三井物産(株)を通じて封緘針製造用の平線を購入していた被告が「Gold Staple」「ゴールドステープル」封緘針を製造し、これを三井物産(株)に販売することになり、未登録であった「Gold Staple」商標(正確には右英文字に地球とステープルの図形が結合された。以下「針商標」と表すのはこの商標を指す)については、三井物産(株)の系列会社のゴールドパッケイジング株式会社が、昭和五〇年九月一八日、商標登録出願をした(昭和五五年七月三一日登録(登録番号第一四二七二二四号)。この商標権は昭和五七年九月被告に譲渡されている(甲一四の1、2)。

(二) この時代に、本件封緘機の販売に際して使用された宣伝広告パンフレットの内容は証拠上明確にできないが、これまでのパンフレット(甲八の1、2)記載内容の推移からみてパンフレットの内容はほとんど同一であり、ただ旧会社が製造に関与しなくなった関係上、旧会社の商号「杉本」「伸線圧延」「工業所」の各ローマ字表記の頭文字から成る「SSK」の商標部分及び最後の第四面の旧会社の表示を削除したものであったと推認できる。

4  原告の封緘機、封緘針事業の開始と三井物産(株)の撤退

原告は、昭和四七年一〇月五日にゴルフ練習場の経営等を目的として設立された会社で、旧会社と株主構成及び役員をほぼ同じくし代表取締役も同一の旧会社の関連会社であるが、昭和五五年六月にいったん解散登記をした。しかし、昭和五六年末ころ、紛争相手であった労働組合に対し、組合員一人当たり二〇〇〇万円、総額一八億円を支払うことで、六年余りにわたる紛争がやっと解決をみたことから、昭和五七年七月、会社継続登記をするとともに、商号を当初のサンエス企業株式会社から現在の杉本伸線株式会社、定款の目的を「各種自動封函機の製造、販売等」にそれぞれ変更し(甲二の1~3)、昭和五〇年の旧会社解散まで旧会社から三井物産(株)に販売されていた本件封緘機及びゴールドステープル封緘針と同一規格の封緘機及び封緘針の製造販売事業を開始した。その際、杉本健三は、旧会社解散前と同様の取引を回復するよう三井物産(株)に申し出たが、旧会社の組合紛争のため迷惑がかかったことを理由に断られたので、以後、原告が独自に封緘機、封緘針事業を開始することにした。

原告は、(株)ひかり金属製作所を除く、旧会社解散前の下請業者から部品の供給を受けてそれを組み立て、完成した封緘機に「”SSK”Hand Boxer」ないし本件標章を付し(検甲一の1、2。原告商品)、封緘針には「Gold Crown Staple」「ゴールドクラウンステープル」の標章(針商標は、昭和五六年一一月一日、被告が商標権を譲り受けていたため使用できなかった)を付して、両者について原告が製造販売元であることを明記して、三井物産(株)とは無関係に販売し始め、今日に至っている。原告の宣伝広告パンフレット(甲九)では、第一面に封緘機の写真を大きく表示した上、その最上段に「”SSK”Hand Boxer」と、最下段に「杉本伸線株式会社」と明記され、封緘機の段ボールケースにも「製造発売元 杉本伸線株式会社」と記載されている。なお、旧会社から(株)ひかり金属製作所に移籍して本件封緘機の製造販売に従事していた南ほか一名は、原告の製造販売事業開始を機に原告に移籍した。

他方、三井物産(株)が、原告の右事業開始を機に、封緘機、封緘針事業から撤退したため、針商標の封緘針を三井物産(株)に納入していた被告も、三井物産(株)を通じての販売がなくなったが、急に販売元の記載を変更すると顧客が混乱することから、当初は、販売元の記載を空欄にして封緘針の販売を行っていた(乙一四の2~5、二〇、被告代表者)。

5  被告の行為

被告は、昭和二四年二月二八日、事務用品、事務用機械什器、日用雑貨の製造販売及び委託加工並びに輸出入を目的として設立された株式会社であり(被告の会社案内の記載による=乙一一。以下、被告の系列会社全体の事業を被告の事業とみて記述)、遅くとも昭和三九年五月二五日から、「立川ステープラー」の商標を付した封緘機(メートル規格のもの)を製造、販売してきたが(乙一二)、三井物産(株)が販売していた当時の針商標の封緘針と「BOXER」商標の本件封緘機(インチ規格のもの)の組合せ販売の実績ないし人気がまだ顧客層に根強く残っており、封緘針の単独販売では売上げが思うように伸びなかったこと、外国へ輸出するにはインチ規格のものが有利であることなどから、インチ規格の本件封緘機の製造に踏み切り、平成三年五月二一日より、本件標章を付した封緘機(検甲二の1、2。被告商品)の販売を開始し、現在に至っている。なお、被告商品及びその包装外箱並びにその宣伝パンフレットには常に針商標が大きく付されている。

被告は、本件標章(1)と同じアルファベットから成る標章(原判決別紙被告商標目録記載の標章)について、次の商標権(被告商標権)を有している(乙一、二。以下「被告標章」というときは、特に被告商標権に係る標章を指す)。

登録番号 第一八三六六九九号

出願日 昭和五八年六月二九日(昭五八-〇六〇五一六)

公告日 昭和六〇年六月二六日(昭六〇-〇四一三八〇)

指定商品 第九類 封緘機

なお、右商標登録出願の前に、出願人を岡部金属工業合名会社として商標登録出願された、指定商品を第九類、産業機械器具、事務用機械器具等とする「ボクサー」及び「BOXER」の商標も登録されている(乙六の1、2)。

二  請求

原告は、<1>本件標章は、旧会社販売の封緘機を示す表示として周知性を獲得しており、原告がそれを承継したこと、<2>仮に、右周知性の承継が認められないとしても、本件標章が原告販売の封緘機を示す表示として周知性を獲得していることを理由に、被告商品の販売が不正競争防止法二条一項一号に該当するとして、被告に対し、被告商品の販売の停止等を求めるとともに、被告商品の販売により原告が被った損害金一五〇万円(被告が平成三年五月二〇日から同年八月二〇日までの間に得た利益相当額)の支払を求めた。

三  争点

1  本件標章につき、旧会社が周知性を獲得したか、それを原告が承継したか。

(一) 本件標章は、旧会社の解散までに、旧会社販売の商品表示として、需要者又は取引者間で広く認識されるに至っていたか。

(二) 旧会社、(株)ひかり金属製作所及び原告の封緘機製造販売事業及び本件標章の使用に継続性、同一性があるか。

2  本件標章は、原告自身が販売する商品の表示として、需要者又は取引者間で広く認識されるに至っているか。

3  本件標章の使用は、被告商標権の行使として正当視されるか。

4  原告商品と被告商品の間に誤認、混同のおそれが生じるか。

5  被告が原告に対して負担すべき損害賠償金額。

第三  争点に関する当事者の主張

一  争点1(本件標章につき旧会社が周知性を獲得したか、それを原告が承継したか)

【原告の主張】

1 旧会社による本件標章の周知性獲得

旧会社は、ボクサー封緘機の販売を開始した昭和三六年から、株主総会の決議により解散した昭和五〇年に至るまで、封緘機業界において常にトップメーカーの地位を占め続け、本件標章は、遅くとも昭和三八年ころまでには、旧会社販売の商品表示として、我が国の販売店又は需要者間で広く認識されるに至っていた。すなわち、

(一) 旧会社がボクサー封緘機の輸入、販売を開始した昭和三六年以前には、我が国には段ボール箱用の封緘機は存在していなかったから、旧会社の封緘機に関するシェアは、他社が昭和三八年ころ封緘機市場に参入してくるまでは、ほぼ一〇〇%であり、月当たりの販売量は約五〇〇台であった。

(二) 旧会社は、本件封緘機の自社生産に踏み切った昭和三八年ころには、先発業者として封緘機市場において他社をはるかに上回るシェアを維持し、封緘機について月商一〇〇〇万円を上げていたトップメーカーであり、昭和四〇年ころでも、封緘機市場で少なくとも五〇%のシェアを維持し、月約一七〇〇~一八〇〇台を販売していた。

また、旧会社は、ピーク時である昭和四十七、八年ころには、本件封緘機を月間二七〇〇~二八〇〇台販売し、当時従業員数四六〇名、年商約八〇億円という規模であった。

(三) 旧会社は、昭和五〇年ころ、労働運動の激化により解散を余儀なくされたが、かかる事情の下でも、封緘機市場においてトップメーカーの地位を維持し続けており、本件封緘機の製造販売を(株)ひかり金属製作所に引き継いだ時点でも約二〇〇〇台余りの受注残が存在していた。

(四) 旧会社は、「インターナショナルボクサーパンフレット」(甲八の1)、「SSKボクサーパンフレット」(甲八の2)、「英語版ボクサーパンフレット」(甲二八)等の宣伝広告パンフレット類を配布したほか、「新版段ボール実務事典」(甲四の1ないし3)、「パッケージング年鑑1964」(甲五の1ないし3)等の業界関係の書籍類にも各種広告を掲載していた。

本件封緘機は、農産物等を入れる段ボール箱梱包用の封緘機であって、販売元が七社程度に限られ、ユーザーも農協等に限定された特殊な環境にある商品なので、たとえ、旧会社の本件封緘機に関する宣伝広告の量が多大とはいえないとしても、右程度の宣伝広告活動があれば、本件標章が旧会社の商品表示として周知性を獲得するには十分であり、旧会社は、昭和三八年ころまでには、本件標章について旧会社販売の商品の商品表示としての周知性を獲得した。

2 原告の承継

原告は、旧会社及び(株)ひかり金属製作所から封緘機製造販売事業を承継するとともに、旧会社が周知性を獲得していた本件標章を承継した。

(一) 旧会社から(株)ひかり金属製作所への事業承継は、旧会社が将来事業を再開すること及び旧会社の関係者が、(株)ひかり金属製作所においても実質的に本件封緘機の製造販売事業を担当することが前提となっていた。

(1) 旧会社代表者杉本健三は、旧会社が、業績には何ら問題ないのに、労働運動の激化により解散を余儀なくされたことから、組合紛争が解決した暁には事業を再開する目的をもって、旧会社の下請会社であり、専務の長谷川哲雄が旧会社副社長杉本健一郎と親交のあった(株)ひかり金属製作所に対し、本件封緘機の製造販売事業を一時承継させたものであり、その際、杉本健三と(株)ひかり金属製作所の間では、旧会社の組合紛争が解決した時点で、杉本健三を中心とする事業主体に当該封緘機事業を返還する旨の合意がされていた。

(2) 杉本健三は、(株)ひかり金属製作所に封緘機事業が承継された際、旧会社の従業員南及び渡辺晃一を(株)ひかり金属製作所に派遣して営業活動、外注関係、品質管理等一切を担当させ、自らも新しい金型の代金を出捐するなど、封緘機事業全般に関与していた。封緘機事業は、形式的には(株)ひかり金属製作所に引き継がれたとはいうものの、実質的には杉本健三を中心とする事業主体がこれを引き続き行っていたものであり、そのことは三井物産(株)を始めとする取引関係者も認識していた。

(3) 本件封緘機事業が(株)ひかり金属製作所に引き継がれた理由の一つには、本件標章及び針商標が旧会社の商品表示として周知性を獲得し、封緘機業界における有名ブランドになっていたため、三井物産(株)を始めとする取引業者らが、旧会社解散によりその商権が消滅することを惜しんだことがあった。

(4) (株)ひかり金属製作所は、本件封緘機事業に関し、旧会社と同一の事業形態を取り、各部品を旧会社時代と全く同じ下請会社に発注し、旧会社と同様、完成した商品(本件封緘機と同一規格)をすべて三井物産(株)に納入し、その傘下の国内代理店を通じて販売していたものであり、梱包箱やパンフレットには、製造元として旧会社の表示はしなかったものの、(株)ひかり金属製作所の表示をすることもなかった。

(株)ひかり金属製作所は、本件封緘機を月間五〇〇台、約七年間で四万五〇〇〇台製造販売したが、右販売量は、当時、封緘機がある程度市場に出回り、いわば飽和状態になっていたことを考慮すると、旧会社の解散直前と比べて特別に売上が減少したというものではない。

(二) 原告は、旧会社の組合紛争が解決した後の昭和五七年、その商号、目的を、旧会社の商号、目的に類似した現在のものに変更して、(株)ひかり金属製作所から封緘機事業を承継し、現在に至るまで、原告商品に本件標章を付して販売している。

原告の株主及び役員構成は、旧会社とほとんど同一であり、取引業者である販売代理店も、三井物産(株)が封緘機、封緘針事業から撤退したことを除けば、旧会社時代と全く同じ国内代理店であり、下請業者も(株)ひかり金属製作所以外には何ら変わるところがなかった。旧会社時代も、実際に販売に当たっていたのは国内代理店であり、三井物産(株)は伝票を通すだけにすぎなかったので、三井物産(株)の事業撤退は、周知性の承継には影響がない。右期間を通じて旧会社から原告に至るまで製造販売していた封緘機は、インチ規格のものであり、メートル規格を使用する他社に対して独自の製品として位置付けられていた。

3 周知性獲得についての見解(当審における主張)

商品表示の周知性獲得とは、だれの標章(商品表示)として周知性を獲得したのかという問題ではない。商品表示の持つ自他識別機能、品質保証機能、宣伝機能の保護からすれば、当該商品の出所が同一であるか、又は事業を承継しているなら、具体的にだれの保有、使用する商品表示であろうとかまわない。周知性は、特定の商品供給者の標章として獲得されるのではなく、標章自体が獲得するものである。

本件標章は、旧会社及び事業を承継した(株)ひかり金属製作所と控訴人の製品である手動式封緘機に使用された商品表示であり、三井物産(株)は旧会社の代理店であった。したがって、三井物産(株)の商品表示として本件標章の周知性を獲得しようとも、本件標章が周知性を獲得すればよい。

また、本件標章が三井物産(株)の商品表示であるとすることはできない。同社は商社として著名であり、手動式封緘機を製造していると考える者はいない。商品表示は、製造業者の識別標識として使用されるのがほとんどである。旧会社の製造販売していた手動式封緘機にも、三井物産(株)や国内販売代理店の記載は一切なかったし、その包装箱も同様である。需要者は、右製品並びに包装箱の旧会社の表示を見て、旧会社こそが本件封緘機の製造メーカーであり、かつ、本件標章の使用者であると認識していたのである。

【被告の主張】

1 本件標章が、昭和三八年までに、旧会社の商品表示として周知性を獲得したという事実はない。

(一) ボクサー封緘機は、昭和三八年ころまでは、米国インターナショナルステープルマシン社が製造し、三井物産(株)が輸入していたものであり、当時、旧会社は、「SSKゴールドステープル」の商標を付しボクサー封緘機用の封緘針を製造販売していたが、右封緘機に関しては、日本国内における一販売業者にすぎなかった。

しかも、当時、右封緘機に付されていた商標は「ハンドボクサー」ではなく、米国インターナショナルステープルマシン社が商標権を有していた「ボクサー」であり、「ハンドボクサー」は、ボクサー印封緘機の一種類の呼び名にすぎなかった。

(二) 昭和三六年ころには、封緘機の製造販売を行う会社として、少なくとも、進和荷材株式会社、岡部金属工業合名会社(以上、ロック封緘機)、富士工業株式会社、伸和工業株式会社(以上、サンライト封緘機)及び被告(タチカワ封緘機)の五社が存在し、これら同業社のシェア合計は、少なくとも全体の五〇%以上であったから、封緘機市場における旧会社のシェアは五〇%以下にすぎなかった。

(三) その後、昌弘機工株式会社、ロック工業株式会社、株式会社日立製作所、トキコ株式会社、積水化学株式会社等、多数の会社が封緘機市場に参入したため、業界における旧会社のシェアはますます減少した。

(四) この間旧会社においては労働争議が頻発し、遂には工場、作業所封鎖、会社解散という事態に陥ったので、右事情により、旧会社の本件標章使用の継続性は中断された。したがって、原告がそれを承継する余地はない。

2 仮に、昭和三六年ころ、本件標章が旧会社販売の商品表示として周知性を獲得していたとしても、本件標章は、旧会社が解散した昭和五〇年九月ころから、原告が本件封緘機の製造販売を開始した昭和五七年七月ころまで、約七年間にわたり使用実績がなく、仮にあったとしても微々にたる使用実績のため、ほとんどの関係者から存在そのものが忘れ去られるに至っていたので、該周知性は消滅したものと考えるべきである。

(株)ひかり金属製作所は、「各種金属玩具製造、プレス加工及び組立」を目的とする会社で封緘機製造販売の実体もなく、同社が旧会社の本件標章使用の継続性について貢献したというために必要な営業譲渡や商標引継に関して何らの資料もないから、(株)ひかり金属製作所によって本件標章の使用が継続されたとはいえない。

二  争点2(原告による本件標章の周知性獲得の有無)

【原告の主張】

1 旧会社は、封緘機業界最大のメーカーであり、本件標章はその販売商品の表示として周知性を獲得していたものであり、解散後から原告による事業再開(封緘機の製造販売開始)までの間も、(株)ひかり金属製作所にその業務を承継させて販売を継続していた。かかる状況の下で、(株)ひかり金属製作所から封緘機製造事業を承継した原告は、右販売開始後短期間で、すなわち、遅くとも被告の商標登録出願前の昭和五八年五月ころには、本件標章について原告商品表示としての周知性を獲得した。

2 仮にそうでないとしても、本件標章を付した原告商品の販売は、昭和五七年七月に開始され、被告商品の販売が開始された平成三年五月には約九年が経過しているので、本件標章は、遅くとも被告商品の販売が開始される前の平成三年四月には、原告商品表示としての周知性を獲得していた。

3 仮にそうでないとしても、本件標章は、平成五年九月には、原告商品表示としての周知性を獲得している。右時期では、原告商品の販売は一一年にも及び、その販売量も約九万五〇〇〇台に及んでいるからである。

【被告の主張】

昭和五七年七月は、原告が本件標章を付した封緘機(原告商品)の製造販売を開始した時点であり、平成三年四月は、被告が本件標章を付した被告商品の販売を開始した時点であるが、いずれの時期においても、本件標章が原告商品表示としての周知性を獲得していたと認めるべき根拠はない。

原告は、平成五年九月ころまでに本件標章が原告商品表示として周知となった旨主張するが、平成五年九月ころは、既に、被告が本件標章を付した被告商品の販売開始後二年以上も経過したときであり、いかなる根拠によりかかる主張が可能となるのか不可解である。

三  争点3(被告商標権行使の主張)

【被告の主張】

被告が本件標章を使用することは、被告が有する被告商標権(登録商標-第一八三六六九九号)に基づく正当な使用である。その使用が権利の濫用に当たるとされるいわれはない。

【原告の主張】

前記争点2について原告が述べた事情、並びに、被告商品の販売が開始された時期が、前記商標登録日である昭和六一年一月二四日から五年を経過した時期、すなわち、無効審判請求の除斥期間五年の経過時期と符合していることにかんがみれば、被告標権に基づく主張は権利の濫用であることは明らかであって、商標法による権利の行使には該当しない。

四  争点4(誤認、混同のおそれ)

【原告の主張】

1 原告商品と被告商品は、次のとおり、需要者において出所が誤認混同されることが明白である。

(一) 商品が全く同じ段ボール箱梱包用の手動式封緘機である。

(二) 付されている商標が全く同じ。

(三) 取扱業者が原告と被告とで同じ。

(四) 被告商品は、商品自体並びにその包装用箱及びパンフレットのどこにも、製造販売元としての被告会社名の記載がない。

(五) 原告商品と被告商品の規格は、被告の他の封緘機(タチカワステープラー)並びに我が国の他の製造メーカーの製品がメートル規格であるのと異なり、インチ規格であり、さらに、被告商品の部品はいずれも原告商品の部品と互換性のある部品として製造されている。

2 被告の行為は、需要者において、被告商品と原告商品の出所を誤認混同させ、旧会社及び原告が長年にわたって築き上げてきた本件封緘機及び原告商品に対する信用にただ乗りしようとの意図に基づくものである。すなわち、

(一) 被告は、旧会社及び(株)ひかり金属製作所が本件封緘機に本件標章を付して販売しており、原告が原告商品の販売を開始し、その商標として既に本件標章を使用していたことに加え、旧会社から原告までの前記経緯を知っていた。

(二) 被告は、もともと、自社の「タチカワステープラー」商標の封緘機を製造販売しており、現在もこれを継続しているが、右の商品及びパンフレットには右商標並びに被告会社名を記載しているのに、被告商品に関しては被告会社名を記載していない。

(三) 被告の手動式封緘機は、被告商品以外は原告以外の他社製品と同じメートル規格なのに、被告商品のみがインチ規格である。また、いずれも被告製品である被告の他の手動式封緘機と被告商品の間では部品に互換性がないのに、原告商品と被告商品の間には、形状もネジ穴等の幅もほぼ同じで互換性がある。

(四) 旧会社は、本件封緘機の商標として本件標章を使用し、本件封緘機用の針の商標として針商標を使用しており、右各商標は、その製品に対応してセットとされた周知の商標であった。被告は、旧会社解散当時、針商標を旧会社より承継したことから、針商標に対応する封緘機の商標として、本件標章も自社の製造する封緘機に使用することを企図し、被告標章の登録出願をしてその使用を開始したものと考えられる。

【被告の主張】

1 原告商品と被告商品は、取引者ないし需要者間において、商品についても、その出所についても何ら誤認混同を生じない。

(一) 原告商品に付されている商標は「SSKハンドボクサー」あるいは「”SSK” Hand Boxer」であり、被告商品に付されている商標は「ハンドボクサー」ないし「HAND BOXER」であって、両者は異なる。

(二) 原告商品と被告商品の製品取扱業者の間には、重複する者もあるが、そうでない者もあって、両者は必ずしも同一ではない。

(三) 被告商品は、製品出荷に際し、すべての商品にパンフレット及び取扱説明書を添付しており、該パンフレットや取扱説明書には、すべて、被告が商標権を有している針商標と発売元として被告会社名が明記されており、それにより被告販売の商品であることは明示されているから、ユーザーが出所や商品を誤認混同することは全くない。

(四) 原告商品も被告商品もいずれも封緘機であり、封緘機は同一の機能を目的とすることから必然的に各社製品ともすべて似たような外観である。しかし、原告商品と被告商品は、外観を比較すれば相違は明白であり、頭部及び把手部分において異なっており、また、被告商品ではヘッドの形状が特徴的で塗装色も異なる。この点からみても、商品としての誤認混同を生じることはない。原告は、原告商品と被告商品の各部品には、すべて互換性がある旨主張するが、両製品のネジ及びピン並びにプレイド部やホルダー、ツメネジ、ツメ部分は、寸法及び材質が異なり、互換性はない。

2 被告が被告商品をインチ規格としたのは、次の理由によるもので、特に本件封緘機を模倣したり、原告商品に対する信用にただ乗りしようと意図したものでもない。

(一) 被告は、製造設備の償却費負担軽減と将来の大量販売を期待して、被告商品を海外輸出向け仕様とした。海外市場においては、主にインチ規格であり、メートル規格は少ないため、被告商品も当然にインチ規格となったのである。

(二) 被告は、封緘機に使用する消耗品として売り込んでいる「ゴールドステープル」封緘針の品名表示が、A5/8、A3/4というインチ表示であるため、当然、ユーザーが封緘機にもインチ規格のネジを使っていると考え、ユーザーや代理店が三井物産(株)が販売していたインチ規格の本件封緘機と同様の商品要望するためその要望に沿ってインチ規格の被告商品の製造を開始した。

五  争点5(損害金額)

【原告の主張】

被告は、平成三年五月二一日から同年八月二〇日までの間に、被告商品を六〇〇万円以上販売し、少なくとも一五〇万円の利益を得ている。原告は右被告の利益と同額の損害を被った。右損害は、被告の故意又は過失に基づくものである。

第四  争点に関する判断

一  争点1(本件標章につき旧会社が周知性を獲得したか、それを原告が承継したか)

1  旧会社の周知性獲得の有無について

(一) 昭和三八年ころにおける周知性獲得の有無

旧会社とボクサー封緘機及びそれに付されていた「BOXER」「ボクサー」商標との関係は、前記第二の一1、2のとおりであり、昭和三六年ころから昭和三八年ころまで日本国内で出回っていたボクサー封緘機は、すべて米国インターナショナルステープルマシン社からの輸入品であったこと、昭和三八年以前のボクサー封緘機及びゴールドステープル封緘針の宣伝広告パンフレットには、第一面上部に「International BOXER」と大きく表示し、その下部に「オリジナリティーと20年の歴史を誇る米国インターナショナル社の”ボクサー”」(ゴシック体部分は大きく表示)と表記し、下段一面に「極東総代理店 三井物産株式会社」と大きく表示されていたのに対し、旧会社の表示は、封緘針の絵と「Gold Staple」の表示が記された小さな丸囲み中に、丸囲みに沿って極く細かい字で「SUGIMOTO SHINSEN ATSUEN KOGYOSHO CO. LTD.」と記されているだけにすぎず、右パンフレットには、他に「この”ボクサー”は、米国インターナショナルステープルマシン社によって創案・製作され、」と記載されていたこと(甲八の1)、昭和三七年一二月一〇日発行の「昭和三八年版包装産業名鑑」(甲三の1~4、乙一〇の1)の旧会社の欄には、旧会社の営業品目及び販売主要扱品目の月商の欄に「米国インターナショナル製各種封函機」「インターナショナル製各種封函機販売」と各記載されていることを考慮すると、旧会社が本件封緘機の自社生産に踏み切った昭和三八年以前には、需要者及び取引者間において、ボクサー封緘機は、米国インターナショナルステープルマシン社が製造し、三井物産(株)が輸入販売する商品であるという認識が一般的であり、旧会社に関しては、せいぜい「ゴールドステープル」封緘針の製造元であるという認識が生じていたにすぎないものと認められる。

証拠(甲八の2、乙一〇の1、2、原告代表者、被告代表者)によれば、昭和三七年ころには、旧会社や三井物産(株)とは別に、進和荷材株式会社、不二紙工株式会社、富士工業株式会社等も国産の封緘機を製造販売していたこと、旧会社が自社生産に踏み切った理由は、米国インターナショナルステープルマシン社からの輸入品では価格的に国産製品との競争に勝てなくなったからであり、当時、ボクサー封緘機が封緘機業界において他社をはるかに上回るシェアを維持していたとは認め難いこと(昭和三八年版包装産業名鑑(甲三の1~4)における「<12>インターナショナル製各種封函機販売 1000万円 100%」なる記載は、その文言から判断して、米国インターナショナルステープルマシン社製封緘機に関する旧会社の国内シェアのみを示すもので、封緘機一般に関するシェアを示すものではないと推定される)、また、ボクサー封緘機の国産化に当たり、米国インターナショナルステープルマシン社から本件封緘機の製造及び「ボクサー」商標の使用について実際に許諾を受けたのは、米国インターナショナルステープルマシン社の極東総代理店であった三井物産(株)であると考えられること、昭和三九年一月一五日発行の「パッケージング年鑑1964年度版」(甲五の1~3)に掲載された本件封緘機の広告には、自社生産開始後でありながら、「ボクサーInternational」「極東総代理店 三井物産株式会社大阪支店鉄鋼部線材課」という、米国インターナショナルステープルマシン社と何らかの関係があることをうかがわせるような表示が引き続きなされている一方で、旧会社に関しては、「米国インターナショナル社技術提携SSKゴールドステープル製造元株式会社杉本伸線圧延工業所」と記載されているだけで、本件封緘機の製造販売に旧会社が関係していることを示す記載はなかったこと、本件封緘機の宣伝広告パンフレットも前記第二の一2のとおり、総販売元である三井物産(株)の名前が前面に出され、封緘機の製造業者としての原告の名前は隠れていたことが認められ、これらの事実に、前記昭和三八年以前の事情を総合考慮すると、旧会社が本件封緘機の自社生産に踏み切った直後である昭和三八年ころにおいて、「BOXER」ないし「ボクサー」の文字を含む本件標章が、需要者又は取引者の間で、旧会社の商品表示として広く認識されるに至っていたと認めることはできない。

(二) 旧会社解散当時(昭和五〇年九月)における周知性獲得の有無

旧会社が本件封緘機を製造しその全部を三井物産(株)に納入販売し始めた昭和三八年ころから旧会社が解散した昭和五〇年九月までの間も右の事情がほぼそのまま継続し(第二の一2)、自社生産開始後に配布していた本件封緘機、封緘針の宣伝広告パンフレット(甲八の2)にも、「”SSK”Boxer」と「杉本」「伸線圧延」「工業所」の各ローマ字表記の頭文字を組み合わせた「SSK」の表示を入れていたとはいうものの、本件封緘機、封緘針という商品の出所表示としては、第一面に「三井物産株式会社」、最終面に「総発売元 三井物産株式会社大阪支店鉄鋼線材部線材特品課」と記載しているのに対し、旧会社名は、ボクサー封緘機のパンフレット(甲八1)と同様、第一面に描かれた小さな丸囲み中に、丸囲みに沿って封緘針の絵及び「Gold Staple」の表示の外側に、極く細かい字で「SUGIMOTO SHINSEN ATSUEN KOGYOSHO CO. LTD.」と記載され、最終面に「SSKゴールドステープル製造元 株式会社杉本伸線圧延工業所」と記載されているだけにすぎず、旧会社が本件封緘機の製造元又は販売元であることを示す記載はないこと、前記「パッケージング年鑑1964年度版」(甲五の1~3)に掲載された本件封緘機の広告にも、旧会社が本件封緘機の製造元あるいは販売元であることの表示は存在しないこと、「昭和四六年度版『全国包装産業名鑑』」(乙一〇の2)の旧会社の欄には、営業品目として、「製造=各種封緘紙、SSK印各種段ボールケース用平線、紙器用平線」と記載されており、本件封緘機の製造販売は営業品目に挙げられていないこと、本件封緘機の販売は、昭和三六年以来、すべて、三井物産(株)を通じて行われており、本件封緘機の納入も三井物産(株)の指示に基づいて行われていたこと、本件封緘機等の供給責任は三井物産(株)にあり、同社は、昭和五〇年ころ、旧会社の労働争議が激化したため旧会社からの商品の納入が困難になった際には、臨時的に被告に封緘針の生産を依頼し商品の供給責任を全うしていること、三井物産(株)は、「ボクサー」及び「ゴールドステープル」ブランドとして名が通っている本件封緘機と封緘針の供給に支障が生じることを危惧して、旧会社の解散に強く反対したが、封緘機事業を(株)ひかり金属製作所に、封緘針事業を被告に引き継がせることにより、旧会社の事業停止のために生じる商品調達不能の事態を収拾し、従来どおり本件封緘機と封緘針を納入できる見込みがついた後は、旧会社の解散に同意したことが認められる(原告代表者)。

これらの事実に加え、「SSK」の表示が、昭和五〇年ころまでに旧会社の商品表示として、需要者又は取引者間で広く認識されるに至っていたと認めるに足りる証拠もないことを考慮すれば、昭和三八年以降の本件封緘機の製造販売事業は、専ら、三井物産(株)の主導の下に、同社の販売網を用いて行われていたものであり、旧会社は、三井物産(株)の指示注文を受けて本件封緘機を製造する専属的製造業者の地位にあったにすぎないというべきである。また、本件封緘機の宣伝広告活動においても、常に三井物産(株)が総販売元である旨を表示して行われているのに対し、実際の製造者である旧会社の名前は外部に対して表示されず隠されていたものなので、このような販売活動及び宣伝広告活動の対象とされた需要者ないし取引者の間では、実際の製造者である旧会社ではなく、総販売元である三井物産(株)が本件封緘機の商品の出所であるという認識が生じていたものと認められる。

以上の諸事実を総合して考えると、本件標章の要部を「BOXER」ないし「ボクサー」の部分にあるとみるにしても、本件標章は、昭和五〇年ころには、旧会社ではなく、三井物産(株)の取扱商品の表示として、需要者ないし取引者間で広く認識されていたものと認められるのである。

原告は、三井物産(株)は総合商社であり、本来、商品の製造元とはなり得ないという認識が一般的なので、本件標章が三井物産(株)の商品としての周知性を獲得することはあり得ないと主張するが、商社が自ら企画した商品を他のメーカーに製造させ、外部に対しては製造業者名を表示せず、その製品を自ら総販売元として自社の名で流通に置くことは稀ではなく、この場合、商品の出所は、一般に、総販売元である商社であるとのみ認識されるものと解され、原告の右主張は採用できない。原告は、標章の周知性獲得とは、だれの標章として周知性を獲得したのかという問題ではなく、標章さえ周知性を獲得すればよいとも主張するが、不正競争防止法で禁止されているのは、旧法、新法においてともに商品主体混同行為であるから、採用することができない。

原告は、前記「昭和四六年度版『全国包装産業名鑑』」(乙一〇の2)の旧会社の欄にある営業品目の「製造=各種封緘紙」との記載は、「製造=各種封緘機」の誤植であると主張するが、仮にこれが誤植だったとしても、誤植のまま右名鑑が発行されている以上、前記認定を左右するものではない。

したがって、本件標章が、旧会社解散までに、旧会社の商品表示として、需要者又は取引者間で広く認識されていたと認めることもできない。

なお、検甲五の1、六の1、2は手動式封緘機であり、それに貼られている商品表示ラベルには「HAND BOXER」と表示され、同じラベルの右表示の下に「SUGIMOTO SHINSEN ATSUEN KOGYOSHO CO., LTD.」と旧会社の表示が記されている。これらの封緘機が旧会社製造の本件封緘機であることを特に疑わせる証拠はないので検討するに、右ラベルの貼付位置は封緘機の腹側であって、使用者が常日頃から右ラベルを目にするものとは思われず、旧会社の表示がローマ字によるもので旧会社名も長く一見しては印象に残りにくいことと、前記のように本件封緘機の宣伝広告パンフレットには三井物産(株)が大きく表示されていることを合わせてみれば、右ラベルの表示から原告の商品表示が強く印象付けられるものとは認め難い。このことに加え、右検甲号各証の正確な製造日を認めるべき証拠はないことにも照らしてみれば、右検甲号各証をもってしても、本件標章は、昭和五〇年ころには、旧会社ではなく、三井物産(株)の取扱商品の表示として、需要者ないし取引者間で広く認識されていたとの前記認定を覆すことはできない。

甲三一の1ないし4は、「ボクサー」又は「ハンドボクサー」は、杉本グループの封緘機として業界では有名であるとする封緘機販売業者の証明書であり、堀川泰利の当審証言中にもこれを裏付ける部分があるが、乙二八の1、2に照らして直ちに採用することができず、甲三二ないし三四(枝番を含む)は、旧会社がボクサー封緘機の事業をしており、封緘機業界トップの地位を占めていたとする封緘機販売業者の証明書であるが、これらも、本件標章が旧会社の商品表示として広く認識されていたことを直接証明するものではない。

(三) 原告の事業開始当時の状況

その上、前記第二の一3のとおり、旧会社解散後(株)ひかり金属製作所が本件封緘機を製造していた約七年間は、旧会社は本件封緘機の製造のみならず、従前自己がその製造者として宣伝広告パンフレットに会社名を表示していた「ゴールドステープル」封緘針の製造事業からも手を引き、被告が右製造事業を引き継いだのであるから、旧会社はいわば封緘機、封緘針業界とは縁が切れた状態になっていたものであり、旧会社と本件封緘機及び本件標章との関係がますます希薄化して行ったのと反対に、三井物産(株)と本件封緘機及び本件標章との結合はますます強化されたものと認められる。したがって、原告が封緘機、封緘針製造事業を開始した昭和五七年七月当時において、本件標章が旧会社の商品表示として、需要者又は取引者間で広く認識されていたものとも認められない。

2  争点1の結論

以上のとおり、原告が封緘機製造事業を開始した当時、本件標章が旧会社の商品表示として周知性を獲得していたと認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、旧会社の商品表示として周知性のある本件標章を原告が承継したとすることもできない。

二  争点2(本件標章につき原告が周知性を獲得したか)について

1  原告は、本件標章が、旧会社による周知性の獲得及び旧会社解散から原告の事業再開までの経緯よって、原告の商品表示として短期間で周知性を獲得し、昭和五八年五月ころには、原告の商品表示として広く認識されるに至っていたと主張するが、本件標章が旧会社の商品表示として周知性を獲得していたと認めることができないことは既に示したとおりである。そして、昭和五八年五月時点においては、原告による原告商品の製造販売事業は、開始からわずか一〇か月が経過したにすぎない上(前記第二の一4)、原告は、原告商品及び「ゴールドクラウンステープル」封緘針の製造販売に当たり、これらが原告の製造販売する商品であることを需要者層に示すため特に目立った宣伝広告活動を行ったこともなく(原告代表者、弁論の全趣旨)、原告の事業再開後における原告商品の販売数量は、旧会社当時と比べて相当規模を縮小したものである(甲二六)。その他、本件全証拠によっても、昭和五八年五月時点において、本件標章が原告の商品表示として、需要者又は取引者間において広く認識されるに至っていた(周知性を獲得していた)と認めることはできない。

2  原告は、本件標章が、その後、平成三年五月又は平成五年九月時点において、原告の商品表示としての周知性を獲得したことを根拠に、被告の本件標章の使用が不正競争防止法二条一項一号に当たると主張するが、甲一五、二六及び証人南毅によれば、原告が事業再開した昭和五八年以降、旧会社に比べて規模を縮小した原告商品の製造量はほぼそのままのレベルで推移してきたことが認められるのであり、その後本件標章が原告の商品表示として広く認識されるに至ったことを認めるに足りる証拠はない。

三  争点3(被告商標権の行使)

以上のとおり、本件標章が原告の商品表示として周知となっている事実は認められない。しかも、前記第二の一5のとおり、被告は、昭和五八年六月二九日、被告標章について商標登録出願をし、平成三年五月二一日以降、被告商標権を得ている。被告商品における本件標章はこの商標権に係る被告標章と同一のものと認められ、被告は被告商標権に基づいて本件標章を使用しているものということができる。したがって、いずれにしても、原告は被告に対し、被告の本件標章使用行為が不正競争行為であるとして、その使用停止を求めることはできないというべきである。

原告は、被告が、旧会社から(株)ひかり金属製作所、同社から原告への封緘機事業の承継の経緯を知りながら、旧会社及び原告が長年築き上げてきた信用にただ乗りする意図で、被告標章について商標登録出願をし、その無効審判請求の除斥期間五年が経過してから被告商品の販売を開始したものであって、被告がかかる被告商標権に基づいて本件標章を使用することは、権利の濫用である旨主張する。

しかし、本件標章がこれまでのいかなる時点においても、旧会社の商品表示として広く認識されるに至った(周知性を獲得した)事実を認めることができないことは既に示したとおりであり、原告主張のとおり、被告の商標登録出願が原告の封緘機事業開始の約一〇か月後であること、被告は、被告商標権の設定登録日である昭和六一年一月二四日(乙一)から五年以上が経過した平成三年五月二一日まで、実際に本件標章を使用しなかったことを考慮しても、被告が、旧会社及び原告が築き上げた信用にただ乗りするという意図をもって、被告標章の商標登録出願をしたとは認められず、被告が被告商標権に基づいて本件標章を使用することをもって、権利の濫用であるということはできない。

原告は、被告商品が原告商品と同じインチ規格であり、被告商品の部品の大部分が原告商品の部品と互換性がある点を非難するが、そもそも原告商品及びこれと同一規格の本件封緘機は、それ自体旧会社が独自に開発したものではなく、単に米国から輸入したインチ規格のボクサー封緘機をそっくりそのまま模倣した製品にすぎないから、原告は被告がインチ規格の被告商品の製造を開始したことを非難できる立場にはない。同じインチ規格を使用する以上、ネジ等の部品に互換性があるのは当然であるし、原告商品と被告商品とは外形(特にヘッド部)、塗装色等において明白に相違し(検乙一の1~4)、現実に誤認混同を生じてはいないと認められるから(被告代表者)、原告の右非難は理由がない。

現状においては、封緘機市場において、本件標章はメートル規格ではないインチ規格の手動封緘機を表示するものとして作用し、原告商品は原告会社製造販売の「SSK」印(じるし)のハンドボクサー、被告商品は被告会社製造販売の針商標の付されたハンドボクサーとして、識別されているものと認められることを考慮してみると、被告の本件標章使用が、原告の商品主体を混同させるものとすることはできないといわなければならない。

第五  結論

よって、本訴請求は理由がなく、請求棄却の原判決は相当である。本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野茂 裁判官 竹原俊一 裁判官 塩月秀平)

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